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1994.07up インタビュー特集(illustration(玄光社))
こちらは「illustration 1994年7月号」((株)玄光社発行)に掲載された松下進特集(前編)だよ。


徹夜のゲーム遊びが「打合せ」
松下進さんは『ファミコン通信』(アスキー)の表紙を1985年から担当してきた。浜村弘一さんは当初から表紙担当をしてきた編集者だ。1992年に、浜村さんは編集長となったが、担当は現在も同じ。同誌は隔週刊から1991年に週刊化された。松下さんは月4回のうち3回(そのうち1回は立体造形物で構成)を担当している。


浜村− 1985年当時、最初に表紙をお願いする時、ちょっと心配なことがあったんですよ。というのはゲーム誌の絵だから、松下さんがゲームに対して全然好意を持ってない方だと話がやりにくいだろうなと思ってたんです。少なくとも新しいメディアだし、ファミコンは当時そんなにメジャーじゃなかったですから。
あの頃ゼビウスというソフトが出て、新しい映像革命が起こっていたんだけど、松下さんはそういうことを全部ご存じだった。すごく話が通りやすくて、やっぱりイケるなあと思ったんです。

松下− 正直言ってファミコン自体すごく好きでしたし、興味がある世界だったんです。お話をいただいた時も”この仕事をやれば、多分ソフトも一杯貰えるだろうな”と思ってね。だからやりたいと言った。(笑) いや冗談ですよ、これは。
始めた当初は、表紙のテーマとして「その時に旬のゲームソフト」を取り上げていたんですよね。ゲーム自体がストーリーを持っているので、他の表紙の仕事に比べても、ビジュアル化がしやすかったですよ。
当時は『ヤングジャンプ』等のイメージが僕に定着していたけど、そんな意味でも『ヤングジャンプ』とは違う顔作りが出来たと思う。それに僕自身がファンタジーの世界が大好きだから、ゲームの世界は描いていても楽でした。僕にとってはいい出会いだったと思うんですよね。

浜村− 打合せなんかも楽しかったです。

松下− 楽しかったね。

浜村− 大体締めきりの10日位前に松下さんのところにお邪魔して「打合せ」と称してゲームで遊んでた。(笑) 本当の打合せは「これでいいのか」って言うくらい短い。

松下− 「次のテーマはこのゲームで、こんなシチュエーションで」って具合で2〜3分で終えて、その後、半日位はゲームをやっていた。大体夕方遅くにいらしてたから、次の日の朝まで「打合せ」をやってる。浜村さんは自分の結婚式の前日も僕の所で徹夜でゲームをやって、そのまま着替えて式場に行ったんだからね。(笑)

浜村− それは未だに女房に秘密なんです。

松下− それで打合せの3日位後にラフを送ってましたか。浜村さんが編集長になってからそういう「打合せ」も減ったけど。今までボツというのは1度もないよね。

浜村− ありません。それに松下さんは今まで1度も締め切りに遅れたことがないんですよ。これはウチの雑誌では中身を書いている方を含めて唯一です。ひどい時は入稿の3日前に電話でお願いしたこともあって、あの時はすみませんでした。

松下− いえいえ。この場を借りてあやまらないで。(笑) でも発売前のソフトを描くから、わずかな印刷物の情報しかないんですよね。そのゲームの実際の画面を見て描いたというのはあまりない。

浜村− ソフトの発売日ぴったりに記事で取り上げることが多いので、絵を描いていただく時は、発売の1ヶ月前位ですからね。特にビックなソフトの場合、ギリギリまで情報がない。少ない情報でも松下さんは「あ、OKです」という具合で絵にして下さる。それで毎回毎回その仕上がりに驚かされてます。最初の頃はそれこそファミコンのパッケージが美しくなかったから、松下さんが描くとこんな表現になるのかとびっくりしてました。

松下− 正直言って当時のゲームのパッケージデザインへの批判も込めていたんですよ。こんなに内容の素晴らしいゲームなんだから、こんなビジュアルも出来るんだよと提案していたわけです。

浜村− ソフトメーカーから「このソフトのパート2が出る時は表紙の絵を使いたい位ですよ」と言う話もたくさん起きたんです。ゲーム誌業界で見ても「大人が買っても恥ずかしくない表紙だ」と言われてましたね。それまでゲーム=お子様の遊びというイメージがあったけど、松下さんの表紙になって大人へのファン層が広がった。ゲーム誌の革命だったんじゃないでしょうか。

松下− そうですか。うれしいです。それにしても1991年、週刊化するって聞いた時、冗談かと思いましたよ。そんなにネタがあるのかって。僕は「とても月4回全部の表紙は出来ない」って言ったんですけどね。

浜村− それで月2回描いて貰ってたんですが、そのうちもう1回を「立体作品の表紙で」ということになった。他の雑誌で松下さんの絵が立体になったのも見ていて、これは面白そうだな、と思って。素人みたいな感覚で、どんなもの出来るんだろうという思いが先に立っちゃった。でも、同じ思いは読者も持つだろうと思ったんです。

松下− 立体物は僕が元絵を描いて、造形作業はいつも同じ方にお願いしているんだけど、元々僕は子供の時から立体が大好きだったんですね。プロになったばかりの頃は立体作品の写真をファイルして売り込んでいたんです。でも、撮影の手間などがあって、いろいろ試行錯誤を繰り返してた。それで平面でも立体感があるように見せる手法としてエアブラシへと移行していったわけです。だから立体の存在感にはかなわないという思いはずっと持っているんですよ。

浜村− 平面作品も楽しみだけど、月に1回造形物が上がって来る時は、ディズニーランドのアトラクションに出会ってドキドキするような感覚があります。楽しい。

松下− 僕自身も楽しみにしてますから。


深遠で怖い世界が楽しみなんです

浜村−
読者の人気投票を見ても普通のゲーム記事より表紙が上というのが20〜30%くらいありますよ。絵柄によっても変わるんで、よく見ているなあと思いますね。
僕なんかは「テトリス」の時が印象的でしたけど。

あえてモノクロ表現をする事で逆説的にインパクトをねらう。クリックで拡大表示。

松下− あのソフトは「ゲームボーイ」でモノクロで見えるんだから、モノクロの表紙にしようと思い切ってやってみたんです。手抜きとも言えるね。(笑)

浜村− 最初は大丈夫かなって感じだったんです。本屋さんの店頭で目立つ物ではないとまずいなって気にしてた。でも編集部内ではすごく評判良かったんですよ。いざ発売になると逆にウチの雑誌が目立ったんです。他誌はゴテゴテした原色を使った表紙がすごく多かったから。

松下− 周囲との逆効果ということだったんでしょうね。毎回それがうまくいくとは限らないけど、たまにはそういうのも良かった。僕自身「テトリス」は散々やりましたしね、思い入れがあったんですよ。

浜村−
常にこちらの想像を超えた物が上がってきますからね。「ストリート・ファイター2」の時は、こちらで登場キャラクターの説明だけしてお願いしたら、出来た作品が「股覗きバージョン」。キャラクターの股の間から見る、こういうアングルもあるんだなって感心しました。

キャラクターの股の間からのアングル 。斬新なアングルがインパクト大。クリックで拡大表示。


松下− それは映像的にこんな感じでゲームが出来たらすごいだろうなっていう欲求から生まれてくることでもあるんです。
表紙だから季節感や全体の色味、絵柄の細かさなど、毎号計算して変化させるんです。夏の号なのに主人公が暑苦しい格好をしているゲームなら、周囲の色を夏らしくしたり。でもそういう計算が成り立たない時も多いです。好きなゲームだと、この絵に関しては少し力を入れたいとか。自分の趣味が先に立つのは何なんだけど、一瞬仕事というのを忘れて描くことがありますね。マイナスにはならないと思ってますけど。

浜村− なかなか表現で暗い雰囲気の物を使うことはないんですが、キャラクターのバックから光が当たって、手前に影がドカンと入っている物もありましたよね。驚いたと同時に、いつも画面全体に光を上手に使ってらっしゃるなあと思いました。

松下− 常により立体的に見せたいから、光と影の演出は必ず付いて回ってくるんですよ。それと僕自身は割と楽天的なアメリカっぽい物よりも、本質的にはちょっと深遠で、この先怖い世界が広がりそうな感じにひかれるんです。ファンタジーが好きだけど、でもただ単に明るくて楽しい雰囲気だけだとファンタジーは成り立たないですよね。その裏には必ず悪くて暗い世界があってね、その相関関係がファンタジーを作っている。ちょっと暗がりの危ない世界には、形のユニークなモンスターもいるし、僕としてはその方が好きなんです。ただ雑誌の顔としては全体がそれでは沈んでしまって売り上げに関係するかもしれないけど。

浜村− でもそれはないですね。その点、表紙でもウチは本当に自慢できると思いますよ。今ファミコン誌は19誌位ある。ウチはトップレベルで、今でこそ週刊で70万部ですが、最初の頃は本当にマイナーな世界だった。むしろ松下さんの絵の方がメジャーで、それに追い付け追い越せみたいな形でずっとやってきたわけです。それが編集内容にも反映しているはずですよ。こういう絵の表紙は業界で今までにもないし、今後も出ないだろうと僕は思ってますね。

松下− 浜村さんはみんなを遊ばせるのが非常にうまいですからね。編集部に行っても、あちこちにいろんなモニターがあって、ゲームやってる人の方が多い。およそ編集部らしくないよね。表紙も自由に遊びが出来て楽しいですし、内容もいい意味で「いい遊び」から出来ている本ですよね。

浜村−
そう言えば表1と表4を通しで表紙にしたこともありましたね。松下さんからの提案だったんだけど、こうした仕掛けがお好きですよね。会話でキャッチボールしながら、面白いからやりましょうというのが多かった。いつも表4は広告だけど、この時はお断りさせていただいてやった。

表1と表4を通して表紙のイラストとした実験作。クリックで拡大表示。

松下− 僕なんかが面白がることを一緒に面白がってくれたんだよね。それが自然体で出来たのが良かった。僕はこんな案は駄目と諦めず、とりあえず言ってみる。すると大体面白がってくれた。僕にとってみたら、そういう自由さが逆に刺激になって、チャレンジ精神が起こるんだよね。毎回が挑戦という気持ちでやるんでね、クリエイターにとってみればこんなにおいしいフィールドはないですよ。


表紙に「ゲームの歴史」を見る

浜村−
ウチの場合、表紙のデザインにしても「まず絵ありき」ですからね。読者もいつも買ってくれる方が70%近いですから、この絵があれば分かるというのがあるんですよ。極端な話、絵が雑誌名を隠してもいい位、でっかく絵を使いたいと思うこともある。ある時は絵柄に合わせて雑誌名のロゴの色を抜いちゃったりしたんですよね。売れなきゃいけないから、売れ線の文字情報は入れなきゃ駄目だけど、絵に文字がかかる時は本当に悩みますね。
雑誌の顔である誌名のタイトルロゴ。一番目立たなくてはならないのが常識だが、雑誌の顔となったイラストレーションは時としてタイトルロゴよりもめだつという逆転現象を起こす。


松下− デザイナーの方も考えて下さっていて、ネームをここまで遠慮してくれちゃったと思うことが多いですよ。

浜村− 8,9歳の子供が、「僕はこの(表紙の)絵が好きです」なんて感想を書いてくることもあるんです。拙い字で。

松下− いいですよね、そういうの。僕もマーケティングと称して本屋に行くでしょう。小さい子が雑誌を手に取っているのを見るんだよね。もちろん中身を読むんだけど、でも一瞬でも表紙に目を止めてくれているのを見るとね、もうジーンときちゃう。ましてファンレターを貰ったらね、本当に泣けてきますよ。9年やっていてこの仕事は楽しくて、だから長くやっている感じもしないんですね。

浜村− 僕の方から言えば、松下さんのイラストレーションはゲームの9年の歴史をそのまま反映してるんですよ。”ああ、この頃はこういうゲームが流行った”という感じで。ゲームの歴史と同時に自分が編集してきた物の歴史でもある。この表紙には自分史に近い物がでてるなあと思ってます。

松下− 流行ったゲームを取り上げるから、そういうことが明確に分かり易いですね。 あと、キャラクターの顔立ちが最初の頃に比べると、この9年で全然変わってますよね。不思議なもので、僕の場合キャラクターを作って描いているとどんどん若くなってきちゃうんです。愛情が出てくればくるほど、キャラクターは若く可愛くなっていく。それがこの9年間の一番の変化かもしれない。キャラクター若返り事件の謎とでも言いましょうか。(笑) 時代の流れみたいなものを感じた時に、そのパワーがキャラクターに乗り移ることがあるのかな。

浜村− 今後はね、ゲームの映像が3Dで現実の世界に近くなってきて環境はどんどんリアルな方向に変わるでしょうけど、それでも『ファミコン通信』の表紙はずっとこのままでいきたいなと思っているんです。それは、なくなりつつある「ファミコン」を雑誌名にしているように、ウチにとって変えたくないことなんですよ。

松下− 光栄です。僕はデジタルとかね、より立体的な表現がうまく出来る手法とピントがあったら、そういう物も試してみたいなと思ってます。今の手法も空想物をより立体的に表現するために選んだ物ですから。そういう試みがうまくいって、浜村さんに喜んでもらえる物が出来れば「これくらいのクオリティの作品が出来たけど、ちょっと見てみない」って声をかけると思いますよ。近い将来に出てくるかな。







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